ある夏の夕暮れに施設長から聞いたこと
お世話になっているお取引先様のことろで、感動したことがありました。
お取引先はたくさんの木々に囲まれた静かな場所にある障害者施設の方です。今夏、こちらの施設からの依頼で土木工事をさせていただきました。その日の工事を終え、現場の片づけをしているときに施設の門のところで施設長自ら、出し葉や木枝などが掃き清掃をされていたのです。森の中にある施設なのでたくさんの枯れ葉や木の枝などが常に落ちてきます。

でも、施設長は黙々とお掃除をされています。私は思わず「施設長がここにお掃除をされているのですか?大変ではないですか?」と聞いてしまいました。すると、施設長はこう答えてくれました。
「これも修行みたいなものなんです。出勤した時には、自分自身の鎮魂のために掃除をしているんです。」
私はそんな思いで掃除をされているのにと驚きました。
私自身も掃除を大切にしており、そして、社員に対しても掃除の大切さを伝えています。それは、掃除をすることで仕事がしやすくなったり、お客様や取引先の方々に掃除が行き届いていると良い印象を持っていただけると思うからです。また、間違いや事故の防止にもなると考えています。
しかし、施設長のように自分自身の鎮魂や修行という考えは全くありませんでした。もちろん、社員にも修行のために掃除をするものだと言ったこともありませんし、言ってもあまり響かないのではないかと思います。しかしながら、施設長の考えが私の胸に響き、掃除に対する捉え方を再認識して、とても感銘を受けました。誰のためでもなく、自分自身の修行のために行なうという思いに。
私は掃除に対する概念が大きく変わりました。
これからは私も自らの修行だと想い掃除をしたいと思います。
「今日も一日ありがとうございました。」とご挨拶をさせていただき、施設長と話すことができ、お話が聞けたことに感謝しながら施設を後にしました。
私は毎朝、社員が出社してくる前に、犬の散歩と掃除を終わらせ、仕事に取り掛かっています。
社員は出社して事務所の内外を掃除してくれます。掃き掃除をしたり、掃除機をかけたり雑巾掛けをしたりおかげで、毎日気持ちの良い環境で仕事をすることができています。
社員の皆さまには大変感謝しております。
